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金武町の匠「松堂登」作 三線

商品内容 三線 1本
提供元 松堂太鼓三味線店
寄付金額 300,000円以上の寄付で貰える
取扱時期 通年
商品コメント

沖縄県を代表する弦楽器である三線。古くはかつて14世紀末、琉球の時代に当時貿易が盛んにおこなわれていた中国から三線の原型である三絃(サンスェン)が持ち込まれました。15世紀には当時の王・尚真(ショウシン)により士族の教養の一つとして奨励されるようになりました。そして17世紀には三線を宮廷音楽に採用されたことから琉球では歌舞芸能が盛んになり、三線も宮廷音楽における主要な楽器としての地位を確立することになりました。 その後、1879年の廃藩置県により、その地位を失うことになりましたが地方に下った士族たちから庶民へと広く普及したといわれています。

最も普及している真壁(マカビ)型

三線は棹(さお)の形状から7つの型があります。武道でいうところの流派みたいなものです。
その中でも一番多く作られているのは「真壁(マカビ)型」といわれる型です。
なぜ真壁型が多いかというと、琉球王朝時代に真壁型の中でどの三線がいい音を鳴らすかという弾比べをしたところ、
暁を告げる開鐘が響くころでも美しい音色をだしたのが五挺ありました。
その五挺は「開鐘(けーじょー)」と呼ばれ、時が経ちいつしか三線の名器=真壁型というイメージになったからかもしれません。

三線職人-松堂 登-

自分で弾く三線は自分で作る

-いつ頃から三線職人を目指したのですか?

ちょうど40年前。最初はエイサーで大太鼓をやっていましたが、2年ほどして後輩から「地方(じかた)をやらないか?」と誘われました。
地方(じかた)とはエイサーでは欠かせない唄い手のことです。
「地方に代わり自分で弾く三線は自分で作ろうと思いました。」
その後10年位は、ほかに仕事をしていたので空いた時間で制作をしていましたが、ある時「これでメシを食っていこう」と一念発起しました。
それからは演奏と制作(改良)をに励む日々でした。演奏者と職人の二足の草鞋はやがて若い世代を指導する立場へと形を変え、三線の作り手としてエイサーを裏から支える職人として今日に至ります。

-特に気を遣うところはどこですか?

絃を押さえたときに絃が竿に干渉しないようにわずかながら部分調整(曲線)をつくるところ。
「一番は三味線の部あて(削り、塗り)」
機械でなく人間の手でバランスを取りながら調整するのはとても大変です。
「業者に任せることもできますが、わずかにズレれば台無しになってしまいますのでうちでは自分でやります」
「ここがうまくできていないと弾き手はどんなに練習してもうまくなりません」
自分が演奏するからこそわかる弾き手のポイント。きっと手にする人が言われて一番うれしい言葉じゃないでしょうか。

「人が一本つくるところ自分なら3倍はできる」と豪語する登さん。
この言葉の裏には、モノづくりが好きな登さんはなんと加工用の機械まで自分で作ってしまいました。これでオートメーション化できるところは効率化を図り、繊細なところは熟練した匠の技を生かし、ものづくりの温かさと効率化をうまく融合させた他にはいない職人です。

カラクイも一本ずつ削り出して作ってます。

-三線以外にも作られているものはありますか?

沖縄本土復帰記念の時に獅子舞公演があり、獅子舞を実際に踊り、その後毛の入れ替えの依頼がありました。
それをきっかけに豊年祭の時に祭られる神獅子(年に一回)のレプリカを作りました。これはブラジル、ロス、中国の公演でも使われました。
ミルクのお面は、時代と共に傷んで使えなくなってしまったとき直す職人がいませんでした。
私は昔職人が作っているの見ていたので、自分でつくることを決意し、記憶を頼りに完成させました。
おかげで金武区では30年ぶりにミルク踊りを復活させることができました。

-三線以外にも作られているものはありますか?

特産品は月末締め集計後に発送するため、最長で約2ヶ月程お時間をいただいております。
また特産品によって準備ができ次第の発送もございますので、ご理解のほど宜しくお願いいたします。